心地良い眠りから、僕は目覚める。 
また今日も、いつもの日々が始まる。雑草をむしり、化石を掘り、住民達の 
おしゃべりに付き合い、海岸でのんびりと釣りをする――なんて優雅で、 
理想的で、ひどくいびつで、吐き気がするほど平和な日々。 

この村は狂っている。住民達は明るく屈託無くて、秩序も保たれており、 
表面的には平和だが、どこか、何かが決定的に狂っているのだ。僕はそれが 
恐ろしい。そして、ここから脱出出来なければ、僕もいずれ狂うしかなくなる。 
……僕は、それが、こわい。 
この村へ来てもうすぐ2ヶ月、未だ脱出への手がかりは掴めていない。だが 
あきらめるわけにはいかなかった。あきらめたとき、それが、僕が狂うときに 
他ならないからだ。 

僕はベッドから起きあがり、まだ眠っている「同居人」たちの横をすり抜けて 
階下へ向かう。足音をひそめる必要はない。彼らはいつも、昏睡したように深く 
眠っているから。 
階段を下りながら今日が土曜だということを思い出し、またあの保険屋と顔を 
合わせるのかとうんざりして、 


……目を、疑った。 



この村に引っ越してきたとき、僕はほとんど荷物を持っていなかった。 ひとつきりの段ボールにはなぜかろうそくとラジカセのみ。着替えすら持って いなかった。もしかしたら僕がこの村に来る以前の記憶を無くしているのと関係 あるのかもしれないが、ともかく、必要に迫られて、僕は村で家具を買い揃えて いった。椅子と机、タンスにテレビ。もちろん「同居人」たちの荷物も日々増減 していた。いつのまにか床には趣味の良い絨毯が敷かれ、壁紙も何度か貼り替え られていた。 それが、なかった。
なにひとつない、空っぽの空間だった。フローリングはむき出しになり、壁紙も 最初の飾り気に乏しいものに戻っている。 一瞬、理解が出来なかった。 僕が寝ている間に何があったのだろう。泥棒だろうか?この、『平和』な村で? それとも、「同居人」の誰かが断り無く売り飛ばしてしまったのだろうか? しかし、家具だけでなく絨毯から壁紙まで剥がすなんて……正気とは思えない。 「同居人」は、狂ってしまったのだろうか?僕よりも一足先に? 呆然と部屋を見渡していたが、僕はその時はじめて、少し前にまた階段が続いて いることに気が付いた。昨日までは、もちろんこんなものはなかった。……そう いえば、本来階段を下りてすぐあるはずの、玄関がない。僕は、ようやく事態を 理解しつつ、おそるおそるその階段を下りていった。 下りたさきには、見慣れた僕の、僕らの部屋があった。一通りの家具が揃い、少 し雑然とはしているが、過ごしやすい部屋。僕は安堵のあまり座り込んでしまっ た。そして思わず笑いが込み上げてくる。寝ぼけて飛んだ早とちりをしてしまっ た。ただ単に、階を間違えてしまっただけだったなんて。 そう考えたところで、僕の思考は再び凍りついた。 ちょっと待て。 階を間違えた ……だと?
僕は立ち上がって階段を駆け上がった。 先程の空っぽの部屋に出る。そのまま更に階段を上ると、僕らのベッドが並ぶ 屋根裏部屋がある。僕は弾む息を深呼吸で抑えて階段に向き直ると、再び階段を 一段一段、ゆっくりと下りていった。 果たして、その部屋はあった。 ……平屋のこの家には昨日まで絶対に存在しなかったはずの、その部屋は。 僕は毎朝目覚める。 ……しかし、もしかすると、いつだって目覚めてなどいないのかもしれない。 だってこの村での生活は、不可解で矛盾だらけで、 まるで悪夢そのものじゃないか。 ■TOP